違法薬物の多くは依存性が高く、禁断症状によってなかなか抜け出すことが難しいとされています。日本において違法薬物の検挙率は極めて高い状況にありますが、一方で薬物依存症の治療という観点から見ると世界に遅れをとっていると言わざるを得ないことも事実。
薬物依存から抜け出すためには、いきなり断薬するのではなく、徐々に薬の量や種類を減らす治療法が注目されています。このような手法を「ハームリダクション(=被害の低減)」とよび、海外の一部の国では積極的に進められています。今回はハームリダクションの現状と効果などを中心に詳しく解説します。
カナダ・トロントにあるハームリダクション施設とは
世界のハームリダクションに関する動向で注目されているのが、カナダのトロントにあるハームリダクション施設「ザ・ワークス」です。この施設の中には「注射室」とよばれる場所が存在し、利用者は自らが持ち込んだ薬物を使用できます。
もちろん、カナダにおいても覚醒剤などの薬物は違法であり、取り締まりの対象となります。しかし、カナダでは法律によってハームリダクション施設内で薬物を使用することを特例で認めており、施設内で薬物を使用した場合に限り取り締まりの対象となることはありません。施設に入ると使い捨ての注射器やアルコール綿、止血帯などのハームリダクション用品が渡され、安全に薬物を使用できる環境が確保されています。
また、施設内には特別なトレーニングを受けた看護師が常駐しており、万が一利用者が危険な状態に陥ったときに適切な処置を施せるような体制も整備。そのうえで、薬物をやめたくてもやめられない利用者の悩みに耳を傾け、必要な支援も提供しています。
なお、トロント市内には「ザ・ワークス」以外にも複数のハームリダクション施設が存在し、その数は合計9か所にもおよびます。民間の事業者や団体によって運営されている施設も存在しますが、いずれもカナダ政府からの資金援助を受けて運営されています。
ハームリダクションが始まった理由
違法薬物の使用を許容するハームリダクション施設は、一見すると薬物依存からの克服とは逆行しているのではないかと考えられがちです。しかし、ハームリダクションはそもそも人々の命を守るために始まったものです。
世界各国で違法薬物が蔓延していた1980年代、注射器の使いまわしによって薬物使用者のなかでHIV・エイズの感染が拡大しました。当時の医療技術では有効な治療方法が確立されておらず、多くの死者を出したことで社会問題に発展。
そこで、当時のカナダ政府は感染症によって増え続ける死者を抑制するために、違法薬物に対する新たな戦略を打ち出しました。それこそが、健康被害を低減する「ハームリダクション」という考え方です。
依存症の原因となるものは、薬物以外にもたばこやアルコール、ギャンブルなどがありますが、いずれも自分一人の力だけでは抜け出すことは難しいもの。そこで、カウンセリングや治療によって症状を緩和していく処置が有効です。しかし、薬物使用は違法である以上、医師や専門家に相談ができず一人で悩みを抱えてしまい、さらに依存症を悪化させてしまうケースが少なくありません。
当時のカナダ政府は、違法薬物の取り締まりを強化するのではなく、依存症患者が克服できるようサポートすることが薬物の健康被害を低減することにつながり、HIVやエイズといった感染症予防の根本対策にも有効であると考えたのです。
ハームリダクションがもたらした効果
薬物依存症に対する新たなアプローチ方法であるハームリダクションは、実際にどの程度の効果が出ているのでしょうか。
まず、カナダではハームリダクション施設を作ったことにより、HIV感染症を減らすことに成功し年間1,760万ドルもの医療費削減を達成しました。さらに、薬物摂取が直接的な原因となって死亡した患者の数も35%減少しています。
このように、ハームリダクションによって得られた成果はカナダに限らずさまざまな国で報告されています。2021年現在、ハームリダクションに取り組んでいる国は世界80か国以上にのぼり、ほとんどの国で薬物依存症患者が減少傾向にあります。
たとえば、スイスでは1996年に1万8,000人にのぼっていたヘロイン使用者が、ハームリダクションの取り組みによって2005年には6,000人にまで減少。ポルトガルでは若年層の薬物使用経験率が2001年の時点で14.1%であったものが、2011年には10.6%にまで減少しています。このように、ハームリダクションによる高い効果は客観的な統計データからも証明されているのです。
日本での違法薬物使用率や再犯率
海外と比較したとき、日本における違法薬物の使用率は極めて低い傾向があります。国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センターが2017年に調査した「平成29年度厚生労働科学研究 薬物使用に関する全国住民調査」によると、違法薬物の生涯経験率は2.3%という統計結果も出ています。1000人のうち23人と聞くと多いと感じられるかもしれませんが、欧米諸国に比べると極めて低い数字であることは事実です。
では、違法薬物に手を出して検挙された人の再犯率はどうなのでしょうか。法務省が調査した「平成30年度版 犯罪白書」によると、覚せい剤取締法違反で検挙された人のうち66.2%が再犯となっています。違法薬物で検挙される人は、初犯よりも再犯の割合が高く、一度薬物に手を出してしまうとなかなか抜け出せないことを物語っています。
見方を変えれば、違法薬物で再び検挙されるリスクを犯してでも手を出してしまうということであり、刑罰そのものが抑止力につながっていないと考えることもできるのです。
依存症克服の第一歩は「個人を尊重し受け止める」こと
日本では違法薬物の経験率が低い一方で、検挙率は極めて高い傾向があります。多くの国民の間で「薬物=犯罪」という認識は定着しているものの、薬物依存症は病気であるという認識をもっている人は少数派といえるでしょう。「薬物に手を出して依存症になるのは自業自得」や「依存症から抜け出せないのは本人の意志の問題」と考える人が少なくありません。
しかし、たばこやアルコール、ギャンブルにのめり込んで重度の依存症と診断される人がいるのと同様に、薬物に関しても自分一人の意志や力だけでは抜け出せないケースも多いのです。違法薬物の使用で検挙される半数以上が再犯であることから考えても、薬物の強烈な依存性は明白です。
日本の場合、違法薬物の使用で捕まることで周囲の人が離れ、社会復帰が難しくなる傾向があります。本人は十分反省しているにもかかわらず、孤立を深めてしまった結果、再び薬物に手を出してしまうことも。そのような負のスパイラルから抜け出すためにも、単に罰則やペナルティを与えて終わりではなく、依存症を根本から克服できるような支援を提供していくことが求められます。そのための第一歩として、薬物依存症から克服しようとしている人を尊重し、受け入れる姿勢を示すことが重要です。
まとめ
日本ではあまり聞き慣れない「ハームリダクション」ですが、違法薬物をはじめとしてさまざまな依存症を克服するためのアプローチとして注目されています。違法である以上、最初に手を出さないことは大前提として重要なポイントですが、一方で依存症患者の社会復帰を目指したり、新たな依存症患者を生み出さないためにもハームリダクションは重要な取り組みといえるでしょう。